【年表】ウクライナの100年

西欧とロシアに挟まれたウクライナ。第二次世界大戦では、ドイツと旧ソ連による激しい戦闘で街は破壊され、数百万人とも言われる犠牲者が出ました。1991年のソ連崩壊で独立。しかし、2000年以降、プーチン氏が権力を掌握したロシアは、欧米に接近するウクライナへの干渉を強めてきました。この100年間のウクライナをめぐる動きを振り返ります。

1922年12月

ソビエト連邦(ソ連)を構成する国(構成共和国)に

  • 1939年9月

    ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦が開戦

1941年6月

ドイツ軍がソ連に侵攻、ウクライナを一時占領

激戦地となり、終戦までに数百万人の住民が犠牲

1945年

第二次大戦が終結、東西冷戦が開始

ウクライナはソ連の構成共和国

  • 1954年

    クリミア半島の帰属がロシアからウクライナに変更

    ソ連・最高指導者フルシチョフ氏が決定も後に火種

  • 1962年

    キューバ危機、米ソ核戦争寸前に

  • 1986年4月

    チョルノービリ原発事故

    国際原子力機関によると、10万人以上が避難

  • 1989年12月

    米ソ首脳が「冷戦終結」を宣言

    東欧諸国の民主化進む

1991年12月

ソ連崩壊、ウクライナは独立

国民投票で90%以上が「独立」支持

1994年12月

ウクライナは核兵器放棄、米英ロが同国の安全保障を約束

(ブダペスト覚書)

2000年5月

ロシアでプーチン氏が大統領に

旧ソ連の国々の連携強化を主張

2005年1月

親欧米のユシチェンコ氏が大統領に

同氏は選挙中、ダイオキシン中毒で重症となった

2010年2月

親ロシアのヤヌコビッチ氏が大統領に

  • 2013年11月

    ヤヌコビッチ政権、EU との連合協定の交渉停止

2014年2月

首都キーウなどでヤヌコビッチ政権への抗議活動が激化

同氏はロシアへ亡命(マイダン革命)

2014年3月

ロシア、ウクライナ・クリミア半島を一方的に編入

(クリミア危機)

  • 2014年6月

    親欧米のポロシェンコ氏が大統領に

  • 2014年~

    ウクライナ政府軍と親ロシア系勢力の間で紛争

2019年5月

親欧米のゼレンスキー氏が大統領に

EUやNATO加盟に前向きでロシアは警戒

2021年7月

ロシア・プーチン大統領が「統一論文」を発表

「ロシアとウクライナは一つ」

2021年9月

ロシア、ベラルーシ軍がウクライナ国境付近で合同演習

2021年12月

ロシア、ウクライナのNATO非加盟求める条約草案発表

  • 2022年2月10日~

    ロシア・ベラルーシ軍、再び合同演習

2022年2月21日

ロシア、一方的にウクライナ東部2州を国家承認

「ドネツク州」と「ルガンスク州」

2022年2月24日

ロシア軍がウクライナ侵攻を開始

背景画像:ロイター/アフロ、代表撮影/ロイター/アフロ

ロシアのウクライナ侵攻 最新情報 図解でわかる ウクライナ問題